2011年10月07日

津山三十人殺し(都井睦雄事件)

 1938年(昭和13年)5月21日、岡山県のある農村で、一晩にして村人30人が殺害されるという日本至上類を見ない大量殺戮が起った。

 犯人の都井睦夫(当時:22歳)は、犯行後に自殺。姉や知人などに宛てた残された遺書から、村の女たちとの痴情のもつれや、自身の結核に悩んだ末の犯行と見られている。

 都井は、事件当日の夜、電柱によじ登って電線を切断し、村中を停電させてから犯行に及んだ。

 はじめに、自宅で寝ていた祖母の首を斧で切断した都井は、続けて改造猟銃と日本刀で次々と村の家族を襲撃。計12軒の家を襲撃し、30人を殺害した。わずか2時間足らずの間に、たった一人でこれほどの大量殺人を行ったのは、世界的にも例がないと言われている。


 難を逃れた生存者の中には、銃声や怒鳴り声を聞きつけて逃げ出した者もいたが、中には必死に命乞いをした末に、「それほどまでに命が惜しいんか。よし、助けてやるけん」と、見逃してもらった者もいたという。

 犯行後、都井は、隣の部落の一軒家を訪れて、遺書を書くための鉛筆と紙を借りた。大量の返り血を浴びて現れた都井をみて、その家の主人は動けなかったが、その家の子供と都井が顔見知りであったため、都井はその子供に鉛筆と紙を借りて遺書を書いた。そして、その子供に「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけて立ち去ったという。

 その後、山の山頂まで向かった都井は、自らの心臓を猟銃で撃ち抜いて自殺した。この事件は後に、横溝正史の『八つ墓村』のモデルとなった。


posted by 傍観者 at 19:40| 大量殺人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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