2010年08月17日

金閣寺放火事件

 1950年7月2日未明、京都府京都市上京区金閣寺町にある金閣寺で火災が発生した。出火の第一報を聞き、消防隊が駆けつけたときには、すでに手の施しようがないほど炎が燃え盛っていた。

 幸いにも人的被害はなかったが、国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼。また、室町幕府3代将軍、足利義満の木像、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻などの文化財も同時に焼失した。

 普段火の気がまったくないところから出火したため、警察は放火と判断。捜査の結果、同寺の徒弟・林承賢(当時:21歳)が逮捕された。

 林は犯行の動機について、「世間を騒がせたかった」などと供述したが、作家の三島由紀夫は自らの著書「金閣寺」で、「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して、金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」と林の動機を分析した。


 また、同じく作家の水上勉は「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により、美の象徴である金閣を放火した」と分析した。


 逮捕後、京都地裁は、林に懲役7年を言い渡した。しかし、服役中に結核と統合失調症を患い、1956年3月、26歳の若さで林はこの世を去った。
 その後、金閣寺は、国や京都府などの支援によって、事件から5年後の1955年に再建された。


ラベル:放火 金閣寺
posted by 傍観者 at 10:10| 放火殺人事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



|TOPページ|

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。