2010年08月20日

宮崎勤事件(連続幼女誘拐殺人事件)

 1988年〜1989年にかけて、東京・埼玉近郊で幼女5人が誘拐され、うち4人が殺害される事件が起った。

 犯人の宮崎勤(みやざきつとむ:当時26歳)は、幼女を殺害した後、その遺体にワイセツ行為をし、さらにそれをビデオに録画するなどしていた。
 また、新聞社に犯行声明を送りつけたり、殺害した幼女の遺体をバラバラにして、その一部を被害者遺族へ送りつけるなど、その行動は極めて常軌を逸していた。そのため、戦後日本犯罪至上はじめてプロファイリングの導入が検討された。

 1989年7月、ワイセツ目的で5人目の幼女を誘拐したところを、幼女の父親によって取り押さえられ現行犯逮捕された宮崎は、これまでの犯行を次々と自供し、日本中を驚かせた。

 当時の後藤雅夫法務大臣は、「死刑くらいでは収まらない残酷な出来事だ」と発言。連日メディアは「宮崎事件」で一色となった。

 宮崎の自室には、殺害された幼女と見られる映像のほかに、アニメやホラーなど、約6000本ものビデオテープがあり、そのことが、同様の趣味をもった人々、いわゆる「オタク」と呼ばれる人々に、社会的偏見が生じるきっかけになったとも言われている。

 宮崎は犯行の動機について、「醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか・・・」などと、終始曖昧な供述を続けた。
 また、公判で起訴状を読んで、「綾子ちゃんの両手と両足を投棄したというのは間違い。両手は自分で食べた。両足は家に出入りするキツネか猫に食べられたと思う」などと供述し、法廷内を一時騒然とさせた。


 その後、宮崎は何度となく精神鑑定を受けるが、犯行動機は明らかにされず、2008年6月17日、精神鑑定の結果を待たずして、宮崎の死刑は執行された。

 この執行の背景には、同年6月8日に起きた「秋葉原無差別殺傷事件」が影響したとも言われているが、当時の鳩山法務大臣はそれを否定している。

 死刑確定後、宮崎は、日本の「絞首刑」は人権侵害だと主張し、アメリカなどで行なわれている「薬殺刑」を希望していた。その理由について、「絞首刑は恐怖と闘わねばならず、反省のことなど考えている余裕はないが、薬殺刑なら反省や謝罪の言葉をいう確率も断然高い」と語ったという。


posted by 傍観者 at 08:19| 幼児殺害事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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